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この主張は,タイへ電力を輸出しようとして,国内の水力開発を民間資金に託したラオスの例を題材に,ODAの場で久しく主張を繰り返してきたが,なかなか組織の中で十分な議論をする機会がなく,ここにその主張を記録に止めて,残しておこうと考えた次第です。要は,IPPを進めるに当たっては,先進国の過去の発展の過程を一つの参考にして,電源地域を開発による被害から出来るだけ保護し,更にひいては,その開発を契機として,積極的に地域の発展を図る必要がある,そのためには法制度の整備が欠かせない,と言うものです。
1. ラオスにおける民間資金導入の経緯
1990年代はじめ,バンコクの経済の急激な発展を契機として,豊富なラオスの水力電源をベースに,積極的に電力の輸出を図ろうとする機運が,ラオス政府を中心に,議論されていた。当時,メコン流域で最高の経済性を誇るナムテン第2水力の開発に関して,ラオス政府は当然のごとく,開発資金を公的資金に求め,世界銀行を中心にOECFを含めた国際社会に援助を期待していた。しかるに,調査を続行しようとしたUNDPは資金不足に悩まされ,一方,日本政府の公的資金も,経済規模の小さいラオスに大量の借款を与えることに問題ありとして応じなかった。
時折しも,アジア一帯に,電源開発は民間資金で,との機運が生まれ,公的資金の得られないラオス政府は,これらの水力を民間資本に解放することを決断して,1991年末,バンコクでセミナーを開催して,当時のカモン副大臣自ら,民間資金への呼びかけを行った。台湾,韓国,オーストリアの民間資本がこれに興味を示して,多くのMOUが与えられたことは,既に各所で解説されているとおりである。
このラオス政府の決断に際して,当時メコン委員会事務局に在籍していた私たちを中心に,水力電源を民間資金に解放した場合,如何にしてラオス政府及び地元は便益を得るのか,の疑問を投げかけて議論を行っていた。民間開発の場合は,当然資本を投下した者が便益を得るので,それを仲介したラオス政府が,適切な便益を得て,国の経済開発にその便益を回すためには,何らかの制度の確立が必要であると主張した。
ラオス政府のとったアクションは,制度の確立ではなく,直接開発の当事者として,民間資本の中にある一定のシェアーの保持を主張したわけであるが,このためには,公的資金をバックとした政府の資金の調達が必要となり,ナムテンに関しては,これを世界銀行に求めて,その結果,世界銀行の厳しい環境調査の要求に合い,今日の着工遅延の因をなした。
当時のメコン委員会としても,このラオスの意図を的確に把握して対応する一つの手段として,日本政府に,「組織制度の強化」をテーマーに資金援助を要請したが,当時の情勢は,かかるソフトなテーマーに対する政府拠出金の精神が十分に理解されず,我々の意図は実現されなかった。
その後,日本政府は,JICAのプロジェクト技術協力の制度を活用してソフトな協力を行うべく,ラオスに調査団を派遣したが,多くの日本政府の担当官の理解は,技術的側面の効果を重視して,かかる制度そのものへの介入を避ける意向が強かった。私自身もこの調査団に参加して,ラオス政府に日本の歩んできた電力開発の経過をたどりながらその必要性を説明したが,具体的なIPPプロジェクトの進捗に集中しているラオス政府には,遙か彼方の物語としてしか理解されなかったような感がある。その後,プロジェクト技術協力が具体化する従って,関係者へ,制度そのものへの技術協力が欠かせない,との主張を繰り返してきたが,依然として,技術そのものへの協力が主流で,ソフト面での法制度の整備の必要については,日本側も理解が出来ないか,或いは制度への介入を意図的に避けているか,のどちらかで,その進捗を甚だ危惧しているものである。
2.日本の電源開発の歴史に学ぶ
私は昭和34年に関西電力への入社であるが,当時は黒四の建設工事の最盛期で,社員のみならず黒部の電源開発の成否に多くの眼が向けられていて,新入社員の私たち自身も,黒部川や木曽川は電源開発のために存在しているかごとき錯覚に捉えられながら,電源開発を国家的事業との理解から,これに従事することの喜びに打ち震えていたものである。このことは,電源地元の開発に対する関心よりも,日本の国の電源に目が向いてしまって,電源開発が地元に与えるマイナスの影響に目を向ける余裕がなかった,とも言える。更にこれを商業的な観点から見ると,東京や大阪の経済発展のために電気が必要で,多額の資金を抱えた大阪や東京商人が,黒部や木曽川の開発にその資金を投入して,地元への便益を軽視して電気を東京や大阪へどんどん運搬していたような状況とも考えられる。
今でもよく覚えているが,昭和45年頃であろうか,水源地域対策特別措置法の原案が電力会社にも回されてきて,水力計画のスタッフが頭を寄せ合ってそのガリ版ズリの原稿に赤線を入れながら,その主旨を理解しようと懸命に勉強していた情景を思い出す。それは,我々にとって極めて新鮮で,今後のダム開発に大きな考え方の転換を求めるものであった。ダムを私企業の目的によって開発するものは,一定の分担金を負担して水源地元の地域発展に寄与すべし,と言うのがその根幹で,その分担額を算出するためには,一定の行政手続きに従った地域開発計画の確立が先行する必要がある,との考え方がそのベースであったと思う。これは従来の補償という概念を大きく崩すもので,更に一歩踏み出して,水源地域の更なる発展に寄与しなければならないことを意味するものである。この法案は建設省によって策定されたものであるが,同様の趣旨は,その後通産省によって策定された電源三法にも,脈々と引き継がれ,日本の電力行政の大きな柱として,今日でも生きているものである。
3.ラオスとバンコクの関係
今回の一連のラオスの電源開発を見ると,まさしくあの当時の日本を思い出す。北陸は現在のラオスであり,大阪がバンコクなのである。その間には,日本の場合と違って国境が両者を分けてはいるが,経済的な意味では,まさしく日本の電源地域と需要地の関係である。需要地は潤沢な資金を抱えているが,電源地域は経済の苦境にあえいでいる。しかし,需要地はあくまで強く,電源地域はあくまで弱い。今,ラオスに出入りしているIPP業者は,言うなればバンコクの水力買いの資金で,電源地元に落とす便益を多くとると,それだけで経営に大きな影響を与えてしまう。ラオス政府は,IPPプロジェクトに一定のシェアーを要求するが,これは言うなれば,富山の県庁が関西電力の株を所有して,バンコクの民間資金と合体するもので,立場が非常に曖昧になって行く。
勿論,今日のラオス政府は,シェアーを持つことによって得た利益を,地元ラオスの経済発展に活かす,と言うのがその本旨であるが,地元の地域開発計画を描くのは,ラオス政府の責任であり,如何にこの地域発展のためのIPP側の分担額を出来るだけ適切に地元の立場から,IPPと交渉するという立場でなければならないとするならば,そこに重大な立場の矛盾が生じている。まるで,日本の資源エネルギ庁が関西電力の水力開発に一定のシェアーを持つようなものである。
しかしラオスにとって,まだ時機は失していない,ラオスの内部で,IPP参加部門と行政部門を峻別すればよいのだから。そうして,行政部門は電力行政の立場に立って,IPP部門と地域開発について,住民の立場で諸政策を実施して行くことになるわけである。このとき,ラオスの電力行政の部門に要求されるのは,何であるか,言わずもがな,それは単なる技術基準ではなく,幅広い行政のノウハウであるはずである。
4.ラオスへの技術協力に求められるもの
それは,発電所の構造や送電線の技術細目ではあり得ない。勿論,地元への安全という意味では,技術細目もおろそかには出来ないが,もっと求められるものは,発電所と地域環境との接点に関する問題である。
日本の電気事業法に連なる一連の体系は,周辺外環境への安全と環境保護,更には,積極的に電源地元の経済社会開発に貢献する,と言うもので,そこには幅広い意味で,建設省の水源地域対策特別措置法や,通産省の電源三法の精神を持ち込むべきである。ラオス側は,正確に理解するかどうかには問題があるが,日本の経験を元に,積極的に理解を求める努力が要求される。
なお,ダムと地域との接点で重要な点の一つとして,河川法に関連する一連の行政目的も含まれるべきである。特に,洪水の処理に関するダム操作規程は,これを技術協力から除くことは出来ない。