1998年6月8日成田を出発,パリで2泊してビザを取得してから,6月10日の夜行でアンゴラの首都ルアンダへ向かう。パリは折からのワールドカップ前夜と重なって混乱の極み。19日まで滞在。アンゴラは,15世紀ぐらいからポルトガルの植民地となって1974年にやっと独立を果たすが,米ソの冷戦下で代理戦争のような内戦が続き,国連の介入でやっと1994年に停戦協定が成立する。北部の海岸付近に石油がでるため,内戦以前は一人当たり国民所得も700ドルを超す繁栄を見たが,内戦のため経済はストップして今では360ドルでアフリカでももっともインフラの遅れた国である。人口は約2000万人であるが,首都ルアンダに300万人が集中していると言われている。過去の栄華を思わすビル群が建ち並ぶが,何れも老朽化して,最高のプレジデントホテルもエレベーターが不調でこれが一泊200ドルを超すホテルかと思う。物価が極めて高く,政府の人々は全て内戦の故だという。内戦当時に現地に赴任した商社員の方が「アンゴラの太陽」と言う小説を書いておられるが,当時の惨状に思いをいたすことが出来る。
しかし,1994年の停戦協定以降,次第に仕事を求めてポルトガル人や石油のためのアメリカ人が帰って来つつあり,レストランも増えてきており,特に沖合に延びる細長い半島では,リゾート的な雰囲気を漂わせている。アンゴラ人の女性はアフリカの中では美人揃いでスタイルも良く,この半島のレストランやディスコで派手な女性を見かける。内戦時代にキューバの軍隊が駐留していて,1万人ぐらいの兵士が大部分エイズに感染し,キューバ本国がその帰国を拒否したと言うニュースを見たことがある。内戦の影響か,今でも武器が出回っていて治安は極めて悪く,社会主義時代の面影が残っていて写真撮影がものすごく厳しい制約下に置かれている。知人の一人も橋を撮影していて逮捕され,一日取り調べられたという。しかし,どうもこれもお金と関係があるようで,海岸にそそり立つポルトガル時代に城塞に上ったときに,「写真は撮らないように,ただしお金を払えば撮っても良いよ」と宣った。
ホテルプレジデントから見たルアンダの海岸線
アンゴラの地図,ルアンダの位置を確認
ルアンダ沖に張り出した長い半島を航空写真で
ルアンダの市街を航空写真で
写真集
町の丘の上,市場の活況,外国人はとても中に入れない,カメラ隠し撮り