1998年11月20日,8ヶ月ぶりにビエンチャンに入る。ビエンチャン市内は以前にもまして車が増え,それに応じてオートバイが多い。中国やベトナムと違って自転車が幅を利かした時間が短く,高校生とおぼしき若者たちが相乗りで走って行く状態を見ていると,この静かな首都にもお金の流入が激しいことが窺われる。空港は,日本の無償援助の空港ビルが完成してその運用開始を待っている,しかし,市内の道路は掘り返しで大変な状況で,これが一国の首都か,と思わせるものであるが,やはり国際協力の基本はまずインフラで,空港を直し,道路を改良し,電力を整備し,電話網を改善し,水道を直して,「それ行け!」と尻をたたく,インフラが改善されると人心も全く一新されるもので,今まで道一杯にゴミが散乱していたものが,舗装をして整備すると途端にゴミの収集がうまく機能し始めた,と言うような例をアフリカなどに見ている。インフラが整備されると民間外国資本の流入もスムーズになり,ホテル,レストランなどが建ち並んできて,一層外国からのお金が流入しやすい環境となってくる。農村の問題や貧富の差の拡大は大切な問題だが,なかなか外国人の介入できる問題は
少なく,その政府の奮起に待たざるを得ないであろう。
我々のビエンチャン入りと前後して,問題のナムテン2に大きな動きがあった。ラオス政府と民間側が合意の署名を行い,いよいよ着工への準備に入る。世界銀行は正式なOKサインをまだ出していないが,ラオス政府としては十分な成算があるのであろう,新聞報道でも世銀側の好意的な反応が伝えられている。タイ側との話し合いの進捗が気になるが,このプロジェクトは,メコン流域全体の中でも経済性が突出して良い地点で,60万KWというのはあまりにも小さく,水力計画の常識では200万KW近い規模が,需要さへあれば,適切だと思っている。つい最近この60万KWは修正されて90万KWとなっているが,これはタイ側が16時間の中間負荷への対応を要求してきたもので,今後ピーク供給力が不足すると思われるタイの電力事情を反映している。このタイの16時間ピークは遷移的なもので,早朝と夕方の家庭需要と昼間のオフィスユースがたまたま一致しているだけで,日本の経験から見ても,経済の進展に伴って,9時から夕方5時までの8時間のオフィスユースがどんどん伸びてくることは自明の理で,タイは早晩8時間ピークへの対応が必要となってくるはずである。この8時
間ピークは,ガスタービンや揚水発電所での対応は一般には困難で,今後のタイの需要に対しては,ラオスの水力の果たす役割が大きいと考えている。タイにはこのほか夜8時から12時までの極めて突出したピークがあるが(ナイトクラブ需要と呼ぼう),タイはこれに対して揚水発電で対処する計画で,現在OECFの資金でラムタコン揚水を進めている。
今回仕事の関係でナムグムダム上流をヘリで飛ぶ機会を得たが,もっとも興味のあったものは背水端に於ける堆砂の状況であった。インドネシアのジャティルフールダムのすさまじい状況を見ているがために,既に20年以上を経過したこのナムグムの状況に興味を持った。上空からの視察なので更に調査が必要であるが,このラオス地域の流砂は,他のアジア諸国,例えば中国やインドネシアに比べて,問題が少ないと感じた。理論的にはこの背砂の現象は避けられない問題なので,更に調査が必要であるが,山肌の崩壊も少なく,状況は良好と観察した。
今回もインターネットを駆使して情報の伝達に努めたが,私が愛用している iPass
が最近になってビエンチャンのアクセスポイントを廃止しており,ライセンス問題があって規制が厳しいと受け止めた。タイとの更新は極めて好調で,一般のメールのやりとりぐらいは,タイのアクセスポイントを使って運用可能であるが,自分のホームページのメインテナンスやインターネットを通じての情報の収集を行うのは,国際電話を通じてのアクセスは現実的ではない。今回は,ラオプラザホテルの2階に事務所を置く米国系の
LaoNet に申し込みを行って,2週間限定で加入してこれを使用した。特別な配慮で期間限定のサービスを受けたわけであるが,2週間で800バーツ(約3600円)で時間制限なし,しかし問題は回線数が少なく昼間から夕方にかけては10回に1回程度のつながりで,随分いらいらした。早朝6時ぐらいでは殆ど1回で繋ぐことが出来た。