フィリッピンは,1976年以来何度も訪ねているが,これは1995年8月,初めてマニラより北へ足を延ばしたときの記録である。
1970年代には,東南アジア最大の都としてその繁栄を誇っていて,ラングーンの帰途マニラによって,何だ東京都一緒じゃないかと思ったことを思い出す。バンドンにいるとき(1984年か)に例の革命が起こって,その後災害に悩まされ,経済が足踏みしているが,最近はASEANの主導権で,少し落ち着いてきたようで,電力もその危機が去ったと聞いている。
今回は,北のリンガエン湾を目指したが,大東亜戦争の初期に日本軍が上陸した地点を訪ね,感慨を新たにした。途中,ピナツボ火山の災害の跡を辿った。
マニラ北部,右のブストス農業ダム地点と,左上のリンガエン湾付近の農村が仕事の対象。
途中のブストスの灌漑用ダム,こんな古いゲートの下に立って,危ないな。
途中,ピナツボ火山の災害で,土砂に埋まった橋梁,洪水が来たらどうなるのだろう。
同じく橋梁被害地点の近接撮影。よくこれで橋が持っていると思う。
リンガエン湾に建てられた碑。マッカーサーが昭和20年に帰ってきた。