Surinam
1999年5月
ロス,カラカス,キュラソー,パラマリボ

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1999年5月4日夕方成田を全日空で出発,ロスに一泊して,アメリカン航空でマイアミ経由ベネズエラの首都カラカスに入る。ここで一泊して5月6日,ALM(オランダの航空会社)のプロペラ機で北西約45分にある蘭領キュラソーでスリナム航空に乗り換え,約3時間で西のスリナムの首都パラマリボに入る,地図を見て下さい。以下は,とりあえず写真速報をどうぞ,モバイル情報はここ,キュラソーは日本人には馴染み薄いが,カリブ海周辺では貴重な中継地点で,空港の設備も何とか整っているので驚いた。アフォバカ水力発電所の概要はここ,


ロスアンジェルス

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カラカス

スリナムに行く途中,ベネズエラの首都カラカスに立ち寄る。北部海岸沿いに空港があるが,標高が低くて暑いので,首都のカラカスは更に奥部に入った山間の標高約900mに位置し,人口3百万人を収容するのに大変で,貧民層が山肌に張り付いて住んでいる他,市内には高層のアパート群が立ち並んで,その間を高速道路が走って,立体的な都市を形成している。ここで有名なのは,本国のスペイン人と勇敢に戦ったシモン・ボリバルで,至る所に銅像が建っている。一度本を探して読みたい。

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スリナム

国土面積約16万平方kmに人口42万人が住んでいる。首都はパラマリボで,1995年の人口は18万人。一人あたりGDPは800ドルぐらいと推定される。インド人が37%,クレオールが31%,インドネシア人が15%,アフリカ人が10%,原住民の子孫が3%,中国系が2%の割合で,南米では非常に特殊な国である。雨が多く,2000mmで,全くインドネシアなどの東南アジアそっくりである。1581年にオランダ人がヨーロッパ人として初めて到来し,英国との間で領土争いがあったが,1863年に英国が現在のニューヨークに移動し,1922年に正式に蘭領ギアナとなった。1975年にオランダから独立したが,1980年に軍部の革命が起き,その後の混乱を経て,1988年に民間人による共和制へ移行した。1991年に総選挙が行われて現在のベネティアーン大統領となった。元々ボーキサイトを主体とした鉱物資源を経済の主体にしているが,最近は沖合のエビ漁が盛んで,日本の漁師が50人ぐらい,ここを基地としている。それもあって,ベネズエラ日本大使館の分館が置かれている。

車で走ると,ここが南米かと疑わせる情景で,インドネシア人が多いせいか,家の造りもアジアの様式を思い出させ,緑に覆われた木造の家屋が前の堀を挟んで並ぶ様は,思わずインドネシアの田舎にいる錯覚に襲われる。スリナム川等舟運が発達していて,橋は殆どないので,東西の交通はフェリーに頼っている。

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帰途キュラソーとマイアミ


5月14日,スリナムの首都パラマリボを,スリナム航空で出発,時間を気にしながら約3時間で蘭領キュラソーに到着,ALMに乗り換える。このキュラソーは,地図のカラカスの左上にあるウィレムットと記されているところで,蘭領アトランティス諸島のうちの一つの島。オランダが所有していて,このカリブ海諸国の中継地点として有名。

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帰国その後,現地に残った八千代の3人は,騒乱に巻き込まれた,
東京電気中村氏が送ってくれた写真,KFCがガラスを割られないよう板囲い


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