1999年6月3日,バンコク経由でビエンチャン入り,98年11月より7ヶ月ぶりのラオス,道路は相変わらず掘り返しているが,少し良くなった感じ。町もにぎやかになったが,周囲のビルなどは古く,もっともっと民間資本を入れなければならないだろう。それにしては,人口も少なく,インフラの整備が大変で,ADBを中心に郊外の道路網の整備が行われているが,ゆくゆくはその維持管理が問題となるであろうし,これらに対する借款の返済は,水力発電の輸出に頼る以外にはないであろう。結局この国は,水力を中心とした水資源を主力に,外国の力を借りて経営する必要があるので,自立とか開発の永続性を求めるよりは,如何に外国の力を導入するかにその生きる道を探る必要があろう。確かに国の主権は大切であるが,考えてみれば,国と言う枠を守っているところに限界があるので,グワムなどのすばらしい発展を見ると,米国の領土に組み込まれて初めてなされたもののような気がする。岸首相の時代に,南のボロベン高原を日本人に提供するので,積極的に移住してきて欲しい,との正式な要請があったが実現にいたらなかった。
新しい空港ビルがオープンしたが,何しろ人的資源の問題で,あの空港を経営するためには,相当の外国のマンパワーが必要だろうと思ったものである。
99年6月4日
99年6月8日
99年6月11日
99年6月12日 ビエンチャン空港よりバンコクへ