1997年12月2日,朝11時に仕事が終了,思い立ってイスラマバードの郊外,西約50kmの仏教遺跡,タキシーラを訪ねてきた。イスラマよりペシャワール街道を西へ約1時間,インダスに流れ込む支流ハーン川の扇状地に広がる地域に,タキシーラの遺跡が散在している。紀元前7世紀から紀元5世紀,約1200年間,いろいろな外患に曝されながら生き続けた人々の生活の場であり,そこには,紀元前のアレクサンダー大王の侵攻,ギリシャの文化の伝達,このヘレニズムの影響と仏教の興隆が結びついたガンダーラ美術の粋を集めた遺跡,最後はモンゴルの侵攻で破壊される,と言う歴史の坩堝の中,生き続けた人々は,このハーン川の肥沃な扇状地と豊富な水に支えられて,その時々の桃源郷を夢見ながら,生活してきたのであろう。昨年,更にインダスの西のペシャワールの北,スワット平野の仏教遺跡を訪ねたが,その立地条件には,極めて酷似したものがあり,そのキーワードは肥沃な平野,豊富な水,温暖な気候,であろう。シリアの,僅かなオアシスを見つけて人々が生活の場としてきたパルミラ,ダマスカス,ア
レッポとは,この点で少し異なった要素があり,そこには住居地のプロジェクト形成に従事したプランナー達の視点が見られて面白い。1962年にはこの上流にダムが出来て,利水は更に便利となり,再び人々はこの桃源郷の生活を楽しんでいるようだ。
扇状地の奥の僧院の丘から平野を
左の水路は最近のダムから導水
肥沃な土地,豊富な水,温暖な気候
入口に掲示された全域の地図
今回は手前の集落跡と奥の僧院を訪ねる
入り口の博物館
ガンダーラ美術の粋を集めた仏像
内部は撮影禁止