私の主張 09

ー タイの農民に対する水の課金に関する論争 ー

(2000/5/6)


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今日,5月6日は,これから3日間に亘ってタイのチェンマイを舞台に開かれる第33次ADB年次総会の第1日目である。タイの新聞は,このアジアでの大規模な国際経済会議に大きな注目をして,連日のように報道している。報道はもっぱらあまり大きな国際会議を開催したことのないチェンマイの治安についてであって,米国のCIAまでが,危ない,と警告を流している。この治安の問題は,先日のワシントンでのIMF総会でのNGOによる騒乱が影響しているが,それよりも重要なことは,6億ドルにのぼるADBから,タイの農業セクター改革支援のためのローンの取り扱いである。これは,このホームページのニュースの中で,000505ZD000504ZH000502ZD000429ZD000427ZO,などのニュースに関連してくる部分で,要は,ADBのローンの条件が,農民からの水使用料の徴収であることにかかっている。私の話は,このタイの農民に対する料金徴収の問題に,メコン委員会にいた当時1992年のファイパタオ計画にさかのぼることに なる。バンコクとの経済格差を埋め合わせるために,意図するとせざるとに関わらず,うまく機能していた富の平準化の流れが,ここで断ち切られようとしている問題に,触れてみたいわけである。


1.農業セクター改革支援の流れ

4月27日のタイ紙の報道(000427ZO)によると,タイの農業セクター改革支援のために,6億ドルのローンに関する協定が,昨年9月に,ADBとタイ政府農業省との間で成立した。これは,従来から続けられてきた総額16億ドルのうちの一部であって,潅漑計画など18プロジェクトに関する借款で,中には農村の送電線計画も含むものである。このADB支援の基金は,一部旧OECFの資金も含まれているとされている。このローンの条件としてADBが示したものは,従来曖昧であった農民負担を明確にせよとの趣旨で,タイの大蔵省も,ローンの条件であることから,この案を全面的に支持しているが,国内では昨年来議論を呼び,前ポングポン農林大臣の首まで飛んでいる。これは,農村を地盤とする一部の政党からも大きな圧力が加えられたとも報じられている。ADBの圧力が前面に押し出されて,今回のチェンマイ総会でのNGO集合という大騒動に発展しているわけである。この報道では,ADBの岩崎局長の談話が載せられているが,彼は,「農民からの料金徴収は国際通念であり,一種の税金で,将来にわたる水の効率的使用を促す意味がある」と説 明している。これに対して農民側に立つ北部タイ開発基金キンコン代表は,税金の2重取りでありADBの圧力に屈したもの,と主張して徹底抗戦の構えにある。ADBの年次総会に臨むチュワン首相は,「政府は今後,従来にもまして貧困の立場に立って政策を進めて行く」とのコメントを残して,チェンマイに向かった。


2.ファイパタオ計画と潅漑用水路の建設

1992年2月に,私は自分の車を駆って,東北タイ,コンケンの西に位置するチャイヤプーンに向かっていた。これは,このチャイヤプーンの西の山中に建設されているファイパタオ水力発電所の調査に行くためで,このプロジェクトは,スイスのSIDAの技術協力でスイスのエレクトロワット社が工事監督に当たっていたプロジェクトである。この技術協力の資金が,スイス大使館を通じてメコン委員会に付託され,メコンに委員会がエレクトロワットと契約を交わして,新任間もない私がその担当のプロジェクトオフィサーに任命されていたからである。計画の諸元は今手元になく,詳細は説明できないが,小高い丘がチー河の水源をなしており,ここに小規模のダムを築造して洪水を調節し,ここで生まれた新しい水を,丘陵の北側にかなりの高落差を利用して落として発電し,その水をそのまま北に広がる耕作地に,潅漑用として流し込む計画で,既に資源が枯渇しているタイとしては,比較的効率の良い計画であった。しかし,水を落とした先の潅漑地には大きな河川がなく,その潅漑用水路をそのまま放水路として使うという,若干,排水が問題となりそうなプロジェクトであった。

私は,このプロジェクトを一目見たときに,「潅漑用水路は誰が建設するの?」と云う疑問であった。時あたかも,当時のランカスター局長主導の元で,メコン本流の低パモンダムプロジェクトが進められていたときで(この計画は後に挫折),よく議論に参加したが,そのとき,この低パモン計画によって生まれる水を,東北タイにそのまま導水しようとする,いわゆる「コンチムン計画」が絡んでいたが,このとき,大規模な発電の陰に隠れて,この東北タイへの水の料金は誰が負担するのか,との疑問をいつも喉元で飲み込んでいた。日本から来た新任のダムエンジニアーにとっては,便益に基づく的確なアロケーションが議論されないことに,内心大きな不満を持っていたのである。しかし,せっかく動き出そうとしている大プロジェクトに水を差すような気がして,この点は伏せて議論に臨んでいた。

前述のファイパタオ計画しかりである。このプロジェクトのオーナーは,今,DEDPと称している科学技術環境省で,完成後はEGATに移管される計画であった。私はいわば,このDEDPのアドバイザーの機能を持っていたものであるが,当時のDEDP担当者のソムチャイ氏と現場を歩きながら,ふと疑問を口にした,「これに付随する潅漑用水路は誰の所有になるのか,設備の償却は誰がやるのか?」。ソムチャイ氏はこともなげに,「それはDEDPだよ,EGATに移管後はEGATが払うよ,でもポンプの電気代など運用にまつわる経費は農民が払うこととなろう」。そのときはそのまま聞き流して分かれたが,私は鬼の首でも取ったような気分で,この人たちは何も分かっていない,アロケーションの概念が全くない,さあこれから私の出番だ,一つペーパーでも書いて問題を提起してやろうと意気込んでバンコクに引き上げた。

ちょうどこの時期,タイは総選挙に揺れていて,新しく起こった政党が,東北タイの農民の貧困救済を叫んで,大いに勢力を伸ばしていた時期である。問題提起のための筆を執ろうとして,私は考え込んだ。それは,この国のあまりに大きい貧困較差なのである。当時のデーターはないが,98年のGDPで見てみると,GDP総額で約3兆バーツのうち,農業のGDPは10%今日の0.33兆バーツ,地域ごとのGDPはないが,東北タイが殆ど農業を主体に生活していることと,全体人口が約6千万人で,バンコク周辺の人口が約6百万人であるから,少し極端な議論で申し訳ないが,国の90%の人口が,10%のGDPの中で貧困にあえいでいると言うことが,数字はともかくとして言えるわけである。貧富の格差があまりにも激しい。電気の使用から見ても,首都圏が全体の70%を使用しているのだから,要するにタイの経済活動は,その殆どがバンコク周辺で,その他大勢の農村の人々は,極端な貧富の中にいるわけである。

そこで私のアローケーションへの問題提起の筆は,ぴったりと止まってしまった。このファイパタオを取り上げてみても,要するに発電所を含めた殆どの施設は,バンコクの電力消費者が,電気料金を通して負担しているわけで,地元農民のための潅漑施設の負担に関して全く問題にしていない,これは十分な社会的意識が育っていないと云うことではあっても,このような成長段階にある国として,自然と平衡の論理が働いて,貧しい東北タイの農民のために,富裕なバンコクの電力消費者が,彼らの生活のためのインフラを,無意識のうちに負担しているのだ,と云う社会的バランス機能が働いているのではないか。これは,タイの富の平準化のために果たしている役割が極めて有効に働いているのだ,と自分で納得したわけである。そのときに考えたのは,これはいつかは問題になるだろう,しかし今は,このまま彼らの習慣通りにプロジェクトを進めるべきなのだ,と云うことに思いをいたしたわけである。


3.あれから8年,今後は変わるのか

今回,ADBの年次総会をチェンマイで開催することになって,ADBの基本的な考え方に大きな議論が沸騰している。ADBのローンの返済は農民が行うべきである,と云うADB側の条件に,タイの大蔵省も肯定せざるを得ない論理があるわけである。今回,この問題が,バンコクの市民から起こらずに,ADBの押しつけとして問題が顕在化したところに,この問題の微妙なニュアンスがある。今回の場合は,発電が直接関係しているかどうか,これはもう少しプロジェクトの内容を把握しなければ分からないが,たとえ,発電の話が入ってこなくても,元々国庫から返済するつもりだったタイ政府は,税金の殆どを支払っているバンコク市民の懐から返済しようとしていたわけで,これに対してバンコク市民は何の反応も示していなかった。と言うよりは,無意識のうちに,東北タイのインフラ設備建設には,バンコク市民は納得している,と考えることもできる。これは,バンコクと農業地域のGDP較差を考えれば,当然のことだとも言える。

だから,このような国毎の違いをあまり理解しようとせず,例えば,ラオスの水力に金を貸さない世界銀行などの態度など,少なくともADBには,今ひとつの理解があっても良いと思う。4月29日付けのADBの岩崎局長の発言,「国際通念に従った一種の農民に対する税金のようなもの」との発言は,銀行やさんとしては当然の発言としても,アジア人として,アジア人の銀行として,今一度,「うーっ」と,私がやったように,唸って考える一呼吸がほしかった。これから3日間続くADB年次総会を見守りたい。

以上

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