(1999/12/23)
1999年12月1日,早朝にラゴスからロンドンのガトウイックに着いて,ヒースローに移動し,ヒルトンに入ってメールを開けると,全然進まない,おかしいなあと思っていると,JPEG10枚,MPEG3枚を含むものすごい大きなメールが入っていた。何かと思うと,ラオスに入っている関電の多田隆司君(現関電土木部水力開発課副長)から,頼んでいたテンヒンブン発電所の記録写真を早速に送ってくれたのだ。怒るわけには行かないが,これがナイジェリアで受け取った場合には,とんでもないことになっていただろう。傍にいた電中研の井上大栄博士が,「足立殺すにゃ刃物は要らぬ,海外に一発,大容量メールを送くりゃいい」と応じてくれた。OutlookExpress の泣き所だ。そこで,この写真を公開しながら,ラオスのナムテン川 (Nam Theun) の開発にまつわる話をする。私の主張の要点は,IPP開発を行う場合に,水系毎にIPP業者を変えて開発を行うときは,問題が生ずる,日本のように水系毎に資本を分けるべきと言うものである。まあ,正論ではあるが・・・・・(と古市JEPIC次長に言われそう)
1.テンヒンブンの現状
ラオスのナムテン川(Nam Theun)のテンヒンブン(Theun Hinboun)水力発電所は,ADBの融資によってラオス政府が60%のシェアーを持つ,所謂ジョイントベンチャー方式のIPPによる水力発電所で,最大出力187MW,年間発生電力量1,360GWhとなっている。現地を訪問した関電の多田君の話によると,極めてうまく設計されていて,環境に対する配慮も十分に行われている感じである,と述べられている。98年4月に運転開始して,既に順調にタイへ輸出しているはずだ。地図と多田君が送ってくれた写真を見てみよう。
2.テンヒンブンの発端
1991年2月ぐらいの感じであるが,メコン委員会も人事刷新が行われて,ラオス出身のチュン氏(現ラオス国内CTSコンサルタント社長)が水資源開発課のチーフに就任し,日本からの私とノルウエーからのライト氏が,彼を支える役回りをしていた。ある日私がチュンの部屋に入って行くと,ライトと話していたチュンが,「この案をどう思うかね」と言いながら,5万分の一に書き込まれた水力プロジェクトの案を示してきた。ラオスのナムテン川には昔から,最下流の
ナムテン第1(Nam Theun 1),現在の上流部の ナムテン第2(Nam Theun
2),更に上流にナムテン第5(Nam Theun 5)の三つの計画が上げられていて,第1は余りにも大きく,第2が分水によって落差が大きくとれて有利と考えられており,皆がこれに注目していた。チュンが示した地点は,この第1と第2に中間地点からメコン本流川に分水するもので,仮に,ナムテン1−2と名前が書き込まれていた。
ナムテン2の経緯については,このHPでも何度も取り上げているように,メコン流域内でもっとも経済性がよく,UNDP資金で調査が行われており,1990年8月のFS説明会には,私もメコン委員会代表として参加している。元々,日本工営とオーストリアのSMECの間でFS調査のコンサル発注で激戦が行われ,日本工営が惜敗した地点で,もしあのとき日本工営が勝っておれば,さてどのように転んでいったか・・・,この話を日本工営の野中さんにすると,「やはり日本の公的資金が入ったでしょうね」と感慨深げ。しかし,この91年2月時点で既に池が大きいことが取りざたされており,何か良い案がないか,と我々も頭をひねっていたときである。調整用のダムをもう少し上流に上げて,それを河川に流し,適切な地点でメコン本流側に落とす,と言う代案も私が提案したことがあった。
チュンの示したナムテン1−2の案を見せられて,「一体誰が案を造ったの?」と聞くと,「ラオス政府から送ってきた」という。私は即座に,「何を言っているの,上で分水しようとしているのに,更にその下流でまた分水するなんて,そんなもの両立するわけがない」と一蹴しようとすると,チュンとライトが顔を見合わせている。私は何か急ぐ要があってそのまま部屋を出ていったが,あのときの3人の会話と二人の顔を今思い出すと,私が出ていった後で,二人の交わした会話が容易に想像できる。「アダチはやる気がないぞ,ではノルウエーとスエーデンの主導でやろう,ライト君,すぐマニラに飛べ」とチュンがライトに言ったのであろうと思われる。
3.ラオス水力の民営化構想の流れの中
私はそれでも,執拗に,上でナムテン2の優秀なプロジェクトが進んでいるのに,何で下で分水計画を造るのか,しかもダムを造らない流れ込み式で,ナムテン2の計画の邪魔にこそなれ,一つも良いことはないではないか,事務局内で繰り返していた。事実,一体,ナムテン1−2は,ナムテン2があるとして計画しているのか,無いとして計画しているのか,それがハッキリしない,もしナムテン1−2が先に出来て,その後でナムテン2が出来るとき,ナムテン2はナムテン1−2に対して減電補償をしなければならないのか,ナムテン2が先行した場合にはナムテン1−2は一体どうなるのか,疑問が疑問を呼んで,うるさい私に,チュンとライトは,持て余して口をつぐむようになってきた。ナムテン2の流域面積が4,013平方km,ナムテン1−2のそれが8,590平方kmだから,ナムテン2が分水してしまうと,ナムテン1−2の水は半分になってしまう計算である。しかも,ナムテン2の満水位が標高535mであるのに対し,ナムテン1−2の取水地点の標高は380mである,155mも落差を落としてしまうわけである。
それでもこのナムテン1−2計画は,テンヒンブンと名前を変えてどんどん育っていった。民営化の構想が浮上してきて,ラオス政府もタイ政府と話し合いを初め,その中に,ナムテン2,
60万KW,テンヒンブン, 25万KW,と言う数字が,両国の間で話し合われ初めて,ナムテン川で合計85万KW,と言うような数字が新聞に踊り出す。おかしいじゃないか,60万KWと半分の13万KWと違うのか,とぶつぶつ言いながら,それでも私はそのとき手がけていた域内水力の見直しの中にテンヒンブンを入れざるを得ないところまで来ていた。私の計算を見ると,負荷率60%で仮定して,ナムテン2が103万KW,テンヒンブンが73MWしか出ていない。これは落差が155mも減っていることと,貯水池が無いので使用水量が減るためである。ところが当時,これを25万KWで提案しているのだから,私としては甚だ不機嫌であった。どうもノルウエーコンサルタントは規模決定がおかしい,南のセセットでも数千KWの地点を5万KWにして建設し,今では失敗との烙印を押されている。
ところが,ナムテン2が世銀のお金を求めて,環境団体からの圧力で四苦八苦しているのを横目で見ながら,ノルウエー一派は,このテンヒンブンをどんどん進めていった。ADBに知己の多かったライト君は,ヨーロッパ勢の力を結集して,ADBのシェアー(公的資金なので実際にはラオス政府の持ち分となる)を60%にまで高め,Nordic
が20%,タイのMDXが20%を出して,瞬く間に資金調達を完了して着工に持っていった。そうして,あっという間に,昨年98年の4月には,運転開始にこぎ着けたのである。
4.結果的には私の失敗なのか
とにかく,テンヒンブンは出来てしまったわけである,そうして,写真に見られるように,全くスマートな発電所がラオスの山間にひっそりと立ち上がって,貴重な水力エネルギーを絶え間なくバンコクへ送っている,現地を尋ねた関電の多田隆司君を,「素晴らしい発電所ですね,環境にも問題はないし,感激しました」と言わせてしまったわけである。私としては,「うーん」とうなる以外にすることがない,今でも河川全体から見たときの計画には失敗作で,今後上流のナムテン2が動き始めたときには,いろいろ問題が出てくる,などとぼやいていても,そこには現実に発電所が出来ているのだから,ノルウエーのライト君が正しかったのか。
失敗したから,余り大きなことを言う資格がないが,IPPをやる際に,一つの纏まった水系に異なった民間資金が入る場合は,計画上いろいろ問題が生ずる。マスタープランがしっかりしていれば良いわけであるが,一旦開発の権益を取得すると,それを最大限に生かすよう計画して行くので,当然水系内の他のIPPと軋轢が生ずるはずである。ナムグムは,現在ラオス政府が所有するナムグムダムの上に,ナムグム2,ナムグム3の二つの民間資金グループが動いている。問題はあろうが,この場合は貯水池の運用上の問題が出るだけだが,ナムテンの場合は他流域への分水を伴うので,問題が極めて大きい。
IPP開発は水系一貫で,などきれい事を繰り返していると,また同じような失敗をしそうな気もするが・・・・・
関電阪田正一君よりの一文
(彼がテンヒンブンの写真撮影者)
足立様
ラオスでお会いさせていただきました関西電力の阪田です。
ホームページを覗かせていただいていたのですがラオスの記事を見付けて早速読ま
せていだだきました。
ナムテン側水系の経緯はなかなか複雑なようですが、電気屋の目から見てもテンヒ
ンブン発電所は進んだ発電所でした。
特に、運転をCRTのみで行っている点など割り切りもありすっきりとしたシステム
でありながら、センサを多用してガバナの情報などを画面を切り替えていきながら見
られる点は世界的に見ても最新鋭のシステムといえると思います。
日本でも、バブルが華やかなころにはコンピュータによる運転支援システムを積極
的に入れようという風潮がありましたが、現在はコストダウン第一で技術的にはさび
しくなってきている状況でうらやましくもありました。
また、ラオスでは電力需要の伸びも2桁を示している、というようなことも聞くと
これから楽しみな国であると感じました。
その他、ラオスの方々とのふれあいの写真など楽しく見させていただきました。
また、読ませていただきます。
ありがとうございました。