杉木氏エネルギー論壇
足立HP(000120ZJ)は以下のように、東南アジアでの広域的な長期水資源政策の必要性を訴えている。
Southeast Asian countries need to work together to develop a water management
plan to cope with increased world demand in coming decades, experts said
here Wednesday. "In many countries of Asia, we may have to go beyond
political boundaries," warned ADB regional agriculture director Akira
Seki.
人口増、経済発展、環境問題について最近の趨勢を考えれば、人間社会が継続して存続するために基本的に必要な、水・エネルギー・食糧問題がどうやら崖っぷちにきていることは誰の目にもはっきりしている。本来なら、これらのことをもっと積極的に真剣に取り組み世界レベルで問題解決の途を探るべきである。
ところが、頼みにすべき学術部門は、専門分化し過ぎ、論理的かつ厳密な検証なしには、定説とはならないので、とても、社会全体をどうしたらよいなどという命題に対しては残念ながら無力と云う他はない。政治家は、まじめ過ぎて今年・来年かせいぜい数年先を考える人々のサービスに精一杯でとてもその先まで考えない。産業界も、基本的には確実に儲からないと手を出さない。
比較的冷静な立場で、容易に先を読める能力と情報が自由になる官僚は、国民の世論、マスコミの追い風がないと、公僕であることを免罪符としてなかなか行動しない。役所のもっとも重要な仕事は今日・明日の行政ではあるが、今日、日本の場合、世界的な問題解決に関与していくことも、官僚の重要な仕事となってきてると思うのだが。国内行政だけではやっていけないほど国際化は進んでいる。日本は少子化で人口が少なくなるし、かなりの金持ちであるから大丈夫などと思っていても、何時、海外から食糧・エネルギーの輸入が途絶えるかも分からない。しかし、現実は、政治理念や国益論争に阻まれて、国を超えての問題解決にはなかなか進めない。
前置きが長くなったが云いたいことは、水資源利用のような物理的に予測がたてやすく,かつ、社会的に重要なものについてはできるだけ早く、将来に亘って地球規模の資源利用調査研究を進めるべきであると云うことである。水資源の賦存量と需要バランスの問題は、対策を講ずるために時間を要し、顕在化した時点で個々に解決するのでは遅い。HPにも、2020年までの世界的な水資源対策として膨大なコストが必要であると述べられている。本当にこれらの費用が必要とすれば、それが公的資金であれ、民間資金であれ、科学的で客観的な調査とその周知が必要である。
これは、HP(000120ZJ)の数値に具体性がないということでなく、世間一般に理解しやすいPRと権威のある需給バランス調査が必要であるという意味である。国単位では水資源の長期計画を持っているところが多い。しかし、世界的には問題は始まったばかりで、まだ本格的に取り組まれていないように思う。だが、地球全体で問題が顕在化しつつあるのも事実である。
このような量的マクロ需給バランスは、推定資源量と人口によって知ることができる。また、経験を通し原単位等を用いて開発コストを推定することも、ある程度可能である。そして、そのコストがその時点の経済規模に対してどの程度のシェアーを占めるのかという判断も可能であろう。この程度までのことは、これまでに何度か警告されてきたが、ことの重大性を気づかせるところまでには達していない。この段階の想定は、経験のある専門家の共同作業によれば僅かの期間でできる。したがって、費用も大してかからない。当然、精度はよくない。そのことが、問題の重要性を世間一般に認識させるためには十分でないのかも知れない。
周知徹底のため、さらに精度を高めるには、マクロ需給計画を具体的な施設計画のレベルにおとすことである。施設計画ともなると、具体的なプロジェクトの諸元(基本的な諸数値)を明確にする必要がある。ここで始めて実施段階に進むための有効な情報となる。この段階の調査は、精度の高い賦存量と需要調査と云うことであるが、先のマクロ調査とでは次元も費用の額も全く違う。
一つのプロジェクトを進めるためには当然この段階を経てくるわけで、通常「基本計画」とか「施設計画」という段階である。一般に、プロジェクトの開発主体は、当該プロジェクト、あるいは、その比較案については施設計画レベルまで調査を進めるが、全然関係のない余分の施設計画までしない。事業主体としては関係がないところの調査をしないのは当然である。
しかし、このような他を省みない個別のプロジェクト開発は、かってのカウボーイ経済(自然環境に余裕のあった時の経済)では問題がなかったが、現代のように、資源が残り少なくなり、効率的な配分が望まれ、かつ、環境問題が絡まってくると、スプロール開発となり無秩序な資源浪費になりかねない。遠くない将来、資源破壊や環境問題にかかわる資源利用については、できるだけ早い時点で、環境保全を考慮した、広域的な需給と社会・経済的問題を調整する方途を考える必要がある。水資源問題もその一つで、国境を越えたグローバルな研究が必要な所以である。
ところが、どうもこのような調査は迂遠な話で、即効性がないからあまり歓迎されないし評価も低い。民間企業は直接的な営利を目標にしているから余分なことをしないのは当然であろう。とすると、公的部門ということになるが、公的資金を司る役所は、環境や人権を主張するマスコミやNGOに気を使って逡巡している。マスコミやNGOのすべてがそうではないが、彼らの意見には部分的に正しくとも、近視眼的で「木を見て森を見ていない」ところがあるように思う。
草の根運動で至る所の木や草花を大切にすることはよいことで正しい。しかし、森全体を消滅させないことも必要である。マスコミ受けのする各論を取り入れることは易しいし問題が少ない。だが、それでは困る。誰かが基礎的な調査を進め、ありのまま、その結果を公表する必要がある。長期的な見通しなしには、有効な対策は立たないし、その必要性を世論によって喚起することもできない。各国がそれぞれ対策を講ずれば全体としてまとめることができるが、ことはそれほど簡単ではない。先進国と途上国では率直に云ってできることが違う。自助努力と云えばそれまでであるが、それを待っていては、結局、世界中が困ることになる。
日本のODAはプロジェクト毎に要請主義に基づいて行われているが、それでは全体的な調整はどうするのか、しようとしてもその情報がない。現在のところ地球上の物理的な資源の最適配分を目的とする機関や条約はない。環境問題については「世界気候変動枠組み条約機構」がある。経済・社会や動植物・人間の保健衛生に関する機構や条約もある。しかし、有限な資源の有効配分乃至は開発に関する適当な機関・機構はない。ないのは仕方がないとしても何処かで、誰かが資源利用の機構とその開発に関する基礎的な調査を進めるべきである。的確な情報なしには物ごとは進まない。
最近は世界的に小さな政府が歓迎され、すべてを市場経済に任せるのを善とする傾向があるが、それだけでは駄目でできるだけ早く、有限資源と環境、人類の生存についてのアセスを誰かが実施すべきである。そのような調査・研究を進める立場と権限のある人々の決断を期待したい。そのような調査・研究が進められ、やがては、水資源利用に関する枠組みや配分について、協議する世界的な機構ができるようになれば望ましい。これは国際河川を有する国に限ったことではない。極端な話ではあるが、近い将来、北極や南極の氷を奪い合う事態もないとは云えない。
そこで、ODA関係の調査こそ、このような基礎調査に重点をおいて欲しいと思う。目に見える効果を求めると、具体的な案件で実施に繋がるプロジェクトが採択され易い。が、各論的なプロジェクトばかりでなく、森全体がどうなるのか、予測とあるべき姿を示し、誰でもが秩序ある水環境の保全を考え、議論できるような情報提供が望まれる。