(続) ミャンマー・タマンティ水力地点


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タマンティ関係図 (杉木氏作成GIF)


タマンティー地点概要


 印緬(インド、ビルマ)国境近く南流するチンドウィン河は、ヒマラヤの東端付近より発し合流点まで約1,000kmの,イラワジ河第一の支流である。その上流域にタマンティー(右岸)、ピンマ(左岸)という部落がある。チンドウィン河総合開発のキープロジェクトとなるダムサイトである。乾期の川幅は約300 mで、雨期には倍以上になる。最初はソ連の調査団が入り、その後UNDPの専門家も踏査している。

 日本人で最初に入ったのは、戦時中緒戦で英軍とアメリカ装備の中国軍を追撃し、その後北部ビルマを守備範囲とした第18師団(通称菊)か、この地域の宣撫にあたった日本陸軍の光機関と思われるが、昭和19年の始め約千名(第31師団第138連隊第3大隊)がピンマ部落に滞在している。

同年3月インパール作戦発動と同時にチンドウイン河を渡った日本軍総勢8万人の最右翼(上流)部隊である。彼らは作戦開始までの約半年、北ビルマの鉄道駅インドウからチンドウイン河までの作戦道路(インチ・マイル地図にJapanese Roadとしてのっている)建設に従事し、渡河直前はピンマで作戦準備にあたっていた。彼らの記録にはダムサイトとして関連のあるような記録はあまり残っていない。第138連隊史にピンマ周辺の平面スケッチがあり、川岸に何本かのコンターが描かれており、左岸側に山稜が迫っているようである。

 その後日本の遺骨収集団がチンドウィン河に入っているが、この地までは来ていないと思われる。連隊本部は約60 km下流のホマリンから渡河している。この地点もチンドウィン河総合開発地点の一つとして計画されている。ここでのチンドウィン河は、防衛庁戦史資料室の「第31師団兵要地誌」によれば次のようである。

「水系チンドウィン河、ラエル河其他幾多ノ大小無数ノ河川我進路ニ直角ニ横タハル 乾期ハ水涸レ給水ニ不便雨期ハ氾濫シ濁水流木ヲ放流シ渡河交通ニ大ナル障碍ヲ与フルモ之ヲ利用スル補給路トシテ価値ハ又偉大ナルモノアリ 特ニチンドウィン河ハ、う号作戦中 (注:インパール作戦のこと)末期ニ於テ、軍ノ主要ナル唯一ノ兵站線トシテ軍幾万ノ将兵ヲ救ヒタルモノナリ 同河ハホマリン附近迄雨期小型汽船ノ遡行ヲ許ス 雨期河巾六―八百米流速三―六米、乾季師団ノ渡河正面巾約三―四百米ニシテ流速一米内外ナリ    略」

現在考えられている水力地点計画概要は次のようなものである。

  流域面積 : 約40,000 km2
  ダム高   : 約80 m
  ダム長   : 約2,200 m
  総貯水量  : 約350億m3
  電力    : 最大出力; 1,500 MW, 発電量; 約50億kWH
  かんがい  : チンドウィン河流域約2百万エーカー
  舟運    : 上下流約1,000km(イラワジ合流点からフーコン渓谷入口まで)
  その他   : 流域の森林・鉱物資源開発

 この地点は、マンダレーまでは約400 kmあるが、インド領インパール、コヒマへは100 kmあまりで,はるかに近い。したがって、以前からインドへの売電が考えられている。開発の難点はアクセスの遠いことである。メコン河からサルーウィン、イラワジ河を経てインドへ大幹線送電線が実現するようになれば、有望な地点として浮かび上ることと思われる。

 タマンティーに関連してチンドウィン河の総合計画に触れたい。タマンティーダムの湛水池の長さは約150kmであるが、それより上流域はフーコン渓谷(死の谷)と呼ばれ、マラリヤや風土病が猖獗を極める地域である。三つの支川に分れそれぞれ中規模の水力地点がある。ここは前述のスチルウェル將軍がレド公路を建設しようとして第18師団(菊)と死闘を繰返したところである。現在はどうなっているか分らないが、戦争末期は立派な道路と石油輸送パイプが通っていた。したがって、アクセスはミチナからインド領のレドまでの中間になる。

 タマンティー下流の計画地点は、ホマリン、マウライク、シュウェザヤ地点(流域面積約10万km2)とカスケード状に続く。インドのインパール盆地から発するマニプール川(流域面積約1万km2)がマウライクの下流に右岸より流入している。この川にも500MWクラスの地点があり、アクセスはミヤンマーからインパールへ通ずる幹線道路である。インパール作戦では、第33師団(弓)がこのルートを進行し苦戦した。

 このようにチンドウィン河にはざっと4,000MWに達する包蔵水力がある。この河の総合開発は単に水力のみならず、道路と内陸水運の交通路を確保し流域の農業開発を促し、森林を始め、鉱物資源開発のインフラを整備することになる。今は未開の地ではあるがやがてはタイ、インド、中国と繋がる開発拠点となると想像される。

日本軍の敗走ルート


 少しだけ日本軍の敗走ルートについてふれたい。インパール作戦では三個師団約8万人がタマンティからカレワまで凡そ200km間でチンドウィン河を渡った。主な渡河地点は、上流からタマンティ、マウンカン、ホマリン、タウンダット、マウレイク、カレワである。戦史の書名ははっきり思い出せないが、インパール作戦の地理的な規模について例えれば、東京・名古屋間に展開した10万の将兵の内8万が徒歩でアルプスを超え、金沢・富山を攻めるようなものだそうである。渡河したのは上流から、第31師(烈)、第15師団(祭)、第33師団(弓)であるが、昭和19年3月中旬の渡河以来、コヒマ、インパールの周辺まで進んだが、凡そ4ヶ月の戦いむなしく敗退した。大部分は、インド領から再び国境を超えホマリンより下流のチンドウィン右岸に達し、河を下って逃れた。もともと、3週間で作戦を終了する予定であったため、食糧もなく補給もままならず、戦死者の大半は、飢えとマラリア、赤痢等の病死であったという。兵要地誌にあるようにチンドウィン河によって救われた人は多い。

 撤収した日本軍は、その後態勢を立て直し、マンダレー付近のサガインで防御線を張る。しかし、追撃してきた英印軍がイラワジ河を下流で渡河するにおよんで、ラングーンへの退路を断たれることになり、そのころ北ビルマからスチルウェルのアメリカ・中国軍に追われて来た北部ビルマの日本軍3個師団と共にマンダレー地区を逃れ南下する。

マンダレーとラングーンを結ぶマンダレー街道は、連合軍の急追を受け、ほとんどの日本軍は、東のシャン高原からシッタン河流域に入り、カロー、ロイコー(バルーチャン水力発電所のあるところ)を経て、一部タイ、主力はモールメン方面に逃れた。現在水力地点として提案されているところの多くはこうした日本軍の足跡が残されていると思われる。


タマンティーの経済効果


 ミヤンマーの交通は半世紀前と大差はない。主要都市はかろうじて鉄道・道路で結ばれているが、輸送能力はまともな経済発展をするには十分ではない。経済成長に必要なインフラが決定的に不足している。鉄道や道路整備には莫大な金がかかる。しかし、交通網の整備と水・エネルギーの確保なしでは安定した経済成長はなし得ない。途上国ではインフラの不足が経済成長を阻み、経済の低成長がインフラの整備を遅らせている。この悪循環を断ち切る一つの方法は、大規模なインフラ事業を興し、その有効需要の波及効果で経済成長を促すことであろう。安定した経済成長に必要なインフラは、間接的に社会を支えるものであるだけに、直接収入をもたらすものは限定されてくる。

 電力は需要があれば利用者は特定され収入を得やすい。タマンティーのようなプロジェクトは電力エネルギーの開発のみならず、多目的で灌漑、治水、舟運に大きく貢献できる。なかでも、イラワジ河の河口からフーコン渓谷まで、1,500km以上になる内陸水運が確保される効果は非常に大きい。千トン規模のバージ船による内陸深くまでの航路整備はチンドウィン、イラワジ河下流域(ミヤンマー国土の約1/3)の経済活動に大きなインパクトを与える。ミヤンマーの関係者がその開発を悲願とする理由である。

 経済発展とインフラ整備は、鶏と卵に例えられるが、途上国の実態を見ると、電力投資のウエイトが非常に高い。直接収益に結びつきやすい電力事業の企業性が大きな理由と思われる。しかし、それも需要があっての話で、大きなマーケットのないところでは、一挙に大規模な開発投資は困難であるというのがこれまでの常識であろう。しかし、そうなれば、今のところ水資源しか持たない貧乏な国はどうしたらよいのであろうか。

 この点、これまでの先進国側の援助は少し杓子定規に過ぎるようなところがある。アダムスミス以前のような経済環境の中に、近代経済の物差しを当てはめれば大規模なインフラ事業は起こせない。


日本のできること


 ミヤンマーは戦後日本との賠償問題がもっとも早く決着のついた国であったと思う。昭和34年に日本の賠償で完成したバルーチャンNo.2は、今でも主力発電所として活躍している。いまだに戦争当時の補償が問題になっているところもあるが、半世紀も経てば国際法上は解決しているか、時効となっているものもあろう。しかし、戦争で犠牲になった人々の供養には時効はない。あからさまな援助ではなく供養をかねて協力できることがありそうな気がする。

 ダムのような大規模な土木工事は、有効需要の創出効果が大きい。現在、日本の公共事業の乗数効果は小さいと云われているが、そんなことはない、3年で2.3倍になるという報告もある。これは経済の発展段階と産業や消費構造によってちがうのであろうが、途上国での土木工事の波及効果は一般にもっと大きいと云える。ただ、経済規模の小さいところでは、大規模な事業になればなるほど、その国での自給率は小さく、したがってその波及効果は小さい。しかし、これは反面、オフショアー(海外)の需要を創出する。仮に、資金援助国が日本であれば、日本の物・技術・サービス需要が増加する。これは、ODAではひも付きと云われ,国際的に批判されてきた。最近は不況のせいか少し事情が変わってきたようであるが、目的と対象によっては考え方を変えてもよいと思われる。

ダムによる水力発電は、化石燃料を使う火力発電に比べて炭酸ガスの発生量が少なく、その分地球環境保全に貢献する。一方、技術の進歩で数千qまで送電が可能になり、マーケットは拡大してきている。ケインズ経済は何も一国に限らないと思われ、国際的な制約条件をクリヤーすれば、いくらでも世界的なTVA計画を実現できる。ただ、必要なことは、地球環境維持や経済格差の是正というような人類共生のための理念である。現在国際的にはいろいろな機構や協定があるが、グローバルな見地からの開発投資を促すようなインセンティブを研究することが必要であろう。日本にはそれを実現できるだけの資本と技術があるように思われる。


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