杉木氏エネルギー論壇
ミヤンマーを訪れる機会を持った。ミヤンマーのシャン高原(標高約900m)を最初に訪れたのは1977年世銀の電力調査で、ついで、1990年バルーチャンNo.1建設中、およそ十年毎に今回で三度目になる。最初と二度目の印象はさほど変わらなかったように思うが今回は明らかに違っていた。インレ湖からバルーチャンNo.2発電所(戦後日本の賠償でできた出力168MWの水力)、モビエダム、そして、バルーチャン流域からカローを通りマンダレーへ、さらに、マンダレー街道をヤンゴンまで、建設・調査中の水力地点を訪れ、1,000km以上を車で走り、流域の状況をつぶさに見ることができた。
二度目のシャン高原はそれほど変わらなかったような印象がある。しかし、今回目にした、町々の家並み、服装、衛生状態などは、十年前に比べて随分よくなったと思う。とくに、自転車、単車等をよく見かけ、経済発展直前のインドネシア、ジャワ島を思い出した。バルーチャン(バルー川)流域は、シャン、カヤ族等マイノリティーの住む地方であるが治安はよく、一部を除いて兵隊さんの護衛もなくなっている。
生活水準は上がっているように見えるが、道路は一部を除いてあまりよくなっていないように思った。マンダレー・ヤンゴン間も十年前とそれほど変わっていないような気がする。夜間でよく判らなかったが、とくに、トングー付近からパゴーにかけて、橋梁の架け替え工事もあり、以前よりもわるくなっているような印象を受けた。首都ヤンゴンは、とくに、ここ数年大きく変わったそうで、ビルが林立し車も多く、もう少しでラッシュの交通渋滞が始まりそうである。
今年は、雨がよく降り、ダムの貯水も順調でヤンゴンの停電はなくなったそうである。しかし、地方では、まだ、計画停電が続いているとのことである。 ミヤンマーの電力系統は、230KVAと130KVAで国内の主要都市及び内陸の天然ガスがでる地域や水力電源と結ばれている。水力資源が豊富で将来は水力発電所を中心とした水主火従(火力は天然ガスを利用するガスタービン発電所)でいきたいと考えている。内陸の天然ガスはだんだん減ってきているが、沿岸の沖に豊富なガス田が発見され、隣国のタイへ輸出しようとしている。
最近、電気料金が十倍近く上がったが、低所得層の料金はそのままで、送配電設備の不備によるロス等で平均料金収入は低い。今のところ電源は何とか間に合っているようであるが、これ以上需要が伸びるか、渇水でも起これば、計画停電は避けられない。暑い国での停電は、とくに外国人滞在者にとっては耐え難く、冷蔵庫やクーラーが使用できなくなり、生活が困難になる。ヤンゴン滞在の日本人関係者の努力で、東京に「ヤンゴンの停電をなくする会」というのができているとのことである。
今回ミヤンマーを訪れて一番印象付けられたのは中国の進出である。中国の雲南省から経済落差を利用してミヤンマーに進出していることは新聞でも報じられているが、驚いたことに、内陸雲南省からだけでなく、ヤンゴンに新しいコンテナ埠頭(5バース@220m)が上海、香港の資本で完成している。滞在中にミヤンマーの英字新聞(THE
NEW LIGHT OF MYANMAR, 17 Dec.,1999)に「Improving road links]と題して、次のような記事が出ていた。イラワジ川にミヤンマー最長橋梁をはじめ幾つかの橋梁が完成し、タイからパングラデッシュへ通ずるハイウエイの一部であるヤンゴン・シットウエイ(アラカン州)間の道路が近い内に整備されるという。その途中にあるサンドウエ港は、中国の雲南省からイラワジ川を通って地理的に最短距離にある。
これらの橋梁や道路にも中国の援助が入ってるといわれているほか、現在施工中、あるいは、至近年度に着工する水力発電所に対しても中国は援助をコミットしている。アジアの地図を見ると、中国はミヤンマーからはベンガル湾を経てインド洋にルートが開け、マラッカ海峡を押さえれば、中国が海と陸からタイ・インドシナを完全に包み込んでいるように見える。パキスタンからアラビア海を通じてインドもサンドウィッチにされている。日本のシーレーンはどうなるのでしょうか?
ダムの技術でも中国はミヤンマーに対しCFDを売り込んでいるように思われ、実績のない日本はこれからいろいろ大変と思われる。ミヤンマーはこれまで、欧米、ソ連のどちらへも偏らず独自の路線を歩んできたが、辛抱しきれず早急に経済の停滞を立て直すために、中国とコミットし始めたとも想像される。ミヤンマ−は、どちらかといえば日本贔屓で、日本からの援助を心待ちにしているといわれ、一日も早い援助の再開が望まれる。
日本の首相がミヤンマーのトップに会ったとき、ある親日家のミヤンマー人が夫婦そろって、交流再開の喜びのため、在ヤンゴンの日本関係者に挨拶にきたという話を聞いたが、彼らの期待がよく理解できる。以前、ラングーン(現ヤンゴン)に滞在していたとき、女中の一人が「ジャパン シップ カミング。 ブラックマーケット プライス ダウン ダウン ダウン!」 とよくいっていた。これからは、「チャイナ シップ カミング。 プライス ダウン ダウン」になりそうである。
前の戦争で、ミヤンマーは戦場になり、日本人、中国人、イギリス人、インド人、その他多くの国から犠牲者が出ている。もちろん一番迷惑を被ったのはミヤンマーの人たちであるが、それにしても、17万人ともいわれる日本軍の犠牲者の中には骨も拾ってもらえず、切歯扼腕している人もいるかも知れない。
もとは十字軍遠征時、一兵士の故郷へ出した手紙の一節と聞いたが、インパール戦の英軍犠牲者の記念碑がコヒマの一郭に建っている。
WHEN YOU GO HOME / TELL THEM OF US AND SAY
FOR YOUR TOMORROW / WE GAVE OUR TODAY
(故郷へ帰られたら、皆さんの明日のために、私たちはここに眠っています、と伝えて下さい)
感傷的といえばそれまでであるが、誰しも同じような気持ちを持っていると思う。日本は少々後れをとっているように思へ残念な気がする。関係者の皆さん頑張って下さい。